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2月20日(月)にサークルメンバー4人で大阪・釜ヶ崎地区のフィールドワークを行いました。

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大阪市の新今宮駅南側に“釜ヶ崎”と呼ばれる一画があります。ここは日本で最大の野宿・日雇い労働者の街です。釜ヶ崎には日雇い労働者たちが集い、仕事を見つけ、全国の労働現場へ向かう街でした/です。高度成長の時代には、釜ヶ崎をはじめとする全国の多数の日雇い労働者が建設工事の仕事などに従事し、本当の意味で日本をつくってきました。しかし、国策としてすすめられてきた「日雇い」という不安定な就労形態の労働者たちは、不況になれば真っ先に職を失い、住む場所を失い、野宿生活を強いられ差別にさらされてきました。

そして実は、彼らは原発の建設や、原発内部の仕事にも数多く動員され、彼らの被曝の犠牲によって今日の原発が支えられてきたのです。

大阪市内だけでも冬には毎年約200名の人たちが路上で命を失っているといいます。今の社会は被曝労働をするか、路上で飢えるかの究極の選択を労働者に強いています。

「日雇い労働者たちがどのような場所で生きているのか?」原発問題をより深く理解するために釜ヶ崎を訪問しました。

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「あいりん総合センター」
ここは行政が建てた施設で、職安や医療センターなどが入っている。しかしここに入っている職安は仕事の紹介はしない。施設の一階で昔と変わらず、労働者と働く人を手配する手配師と労働者を乗せるバンが集まり、労働力の売り買いがされる。職安は仕事にありつけず「あぶれた」労働者にその証明をするのが仕事だ。
建物の外には監視カメラが設置されている。ここ以外にもこの街のあちこちに監視カメラが置かれ、労働者たちはまるで犯罪者あつかいだ。
施設の中にはダンボールを敷いて寝ている人がたくさんいる。泊まるお金もない労働者たちがたたかいのすえ勝ち取った屋根の下で眠る権利だ。

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センターの中でこんな張り紙を見つけた。3.11以前には見なかったものだ。
『被曝について知っておく』『震災復興現場の現状と労働者の心構え』などの言葉が見出しを飾っている。

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「萩之茶屋小学校前」
一見、花がきれいに景観を飾っているように見える。が、これは学校周囲での野宿者を排除するための仕掛けだ。花の上のパイプから水が出て、花を通り越しその下で寝ている野宿者を濡らせる装置だ。

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「「福祉マンション」の張り紙」
この街ではこうした張り紙や看板をよく目にする。これが近年話題になった「貧困ビジネス」だ。野宿者たちをマンションに住まわせて生活保護費を吸い取るのだ。

これらの写真で紹介した場所の他に、炊き出しなどが行なわれ労働者たちが集う三角公園や行政が用意しているシェルター、西成警察署、市立更生相談所などを見てまわりました。三角公園ではほんのわずかな時間ですが労働者の方々とお話をする機会があり、原発労働について伺うと「(釜ヶ崎には)昔からあった問題だ」と言われていたのが印象的でした。

そう、日本の原発の歴史が始まったその時から、この街の労働者たちが生きる糧を手に入れるため自分たちの命や健康を犠牲にずっと原発を支えてきたのです。ブログでは十分に紹介し切れませんが、今回のフィールドワークは日本の原発が抱える矛盾を肌で感じ、問題意識を深めさせるよい機会になりました。


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釜ヶ崎を2時間ほどであとにし、大学へ移動してから参加者で「隠された被爆労働~日本の被曝労働者~」という古いドキュメンタリー映像を見ました。これを見れば釜ヶ崎と原発との繋がりがよく分かります。ブログをごらんの皆さんもぜひご覧下さい。


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2012.02.24 Fri l フィールドワーク l コメント (0) トラックバック (0) l top
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