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随分前のことになりますが、9/23~25にかけて、福島市にある「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」、仙台市にある「東北朝鮮初中級学校」、そして石巻市のボランティア組織である「フェアトレード東北」を訪れ、お話を窺いました。関係者の皆様、ありがとうございました。


子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク他 (原発及び放射能関連)

1、訪問の目的

福島第一原子力発電所事故関連問題に対して主体的に取り組み、「20mSV 問題」※にも積極的に関わってきた「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」(以下、「子ども福島」)の方に活動方針や活動内容等の話を伺い、また、実際の福島市内の現状を見聞きすることで、3.11同志社学生ネットワークが原発及び放射能問題に関して、関西地域を拠点に行い得る支援を模索する。

※20mSV問題
今回の福島第一原発事故を受け、法律で定められた一年間に浴びても良いとされている放射線量が、年間1mSVから年間20mSVの暫定基準値へと引き上げられた。それにより、福島県の一部の子どもたちは、本来18歳未満は立ち入りを禁じられている「放射線管理区域」(=毎時0.6μSV以上の区域のことを指す)の中で過ごさなければならなくなった。子ども福島等の活動が実り、5月27日に文部科学省は子どもの放射線は年間1mSVを目指すと発表したが、具体的な対策は遅れている。


2、「子ども福島」にて

(1)「子ども福島」の活動の経緯
5月1日の集会(250人)をもって本格的に活動を開始した。当初から県民個々の放射能に対する捉え方の違いがあり、なかなか懸念を口に出せなかった県民が集まった。以後、年間20mSVの撤回要請や自主避難者に対しての支援要請、汚染地域の除染要請、子どもたちの被曝低減対策要請などの政府交渉の他、除染活動や、避難支援、講演会を行ってきた。現在、約650人のメンバーを抱え、世話役は約10人である。当初、盛んだった20mSV 問題への取り組みは、徐々に下火となり、除染活動も除染を行う者への健康影響等を考慮し終了した。最近の具体的活動としては、9月19日の東京で行われた「さようなら原発集会」(主催者発表計6万人参加)への参加や10月3日の参議院議員会館での自主的避難者への賠償を求める院内集会の実施が挙げられる。避難したくてもできない人を無くしたいという思いで活動しているが、個々の県民の意思を尊重し、避難を強く推奨することは行っていない。

(2)行政の対応やメディアの報道姿勢、学者の解説に対する見解
国や福島県に対しては、国際的なレベルに比較し明らかに高い外部・内部被ばくの基準値や不十分な除染計画、健康調査、そして住民の流出を食い止めるための情報の隠ぺいなどについて多くの不満がある。現在は特に、国の指定区域外から避難する自主的避難者への賠償や、地域の中の子供たちが集団で県外の安全な場所に疎開する方法であるサテライト疎開についての呼びかけを行っている。また、放射線量測定のデータについても、行政発表が不明瞭であるため、調査する必要性のアピールとして、独自に食品中の線量を調査してきた。10月には、「子ども福島」の一部が分離独立し、体内被曝量を測定できるホールボディーカウンターを備えた市民放射能測定所が福島市内に開設された。今後県内各地に順次拡大予定である。メディアに関しては、震災から半年を経て関連報道が減少してきたことを懸念している。また、学者に関しては、7月15日に長崎大学大学院教授から、福島県立医科大学副学長に就任し、安全性を強調した講演を繰り返す山下俊一氏の影響力を指摘している。子ども福島では、「100mSvまで放射線を浴びても大丈夫。今まで通り子供を外に出して下さい」という趣旨の発言をしたとして、アドバイザー解任を要求する署名活動を行った。

(3)原発に対する立場及び県外で行われるデモに対する見解
原発には基本的には反対であるが、まだ表立って表明する段階ではない。9月11日に福島で行われたデモには数百人しか参加しなかったという。また、さようなら原発集会デモでは、他県との温度差を感じ、福島の現状を意識してもらうため、自主避難や除染、追跡調査に関して必要性や支援を呼びかけたかった。
 

3、現在の福島の状況

夏休みには6万人から8万人と言われる子どもたちが福島を離れ、他県で過ごしたという。なお、子どもたちのうちの約5%は自主的避難を行っており、9月に入って避難希望者は減少している。なお、小林氏は子どもを産まない覚悟はできないと感じ、現在も基本的に山形県に自主的避難をしているが、夫は、仕事の関係で福島に在住しているという。しかし、自主避難に関しては、ガソリン代や交通費、医療費といった経済面、そして、避難先での保育園の確保等の問題がある。また、辺見氏は、もともと福島で子どもを自然に触れさせながら養育する青空幼稚園たけの子を運営していたものの、事故を受けて外で遊べなくなり、大きなストレスを抱えていく子どもたちを見て、10月、線量の少ない山形県米沢市にサテライト幼稚園を開設した。福島で暮らす子供と米沢市に避難している子供25人(10月3日の入園式時点で入園決定者は5人)を受け入れる予定で、福島の子どもたちはおよそ1時間かけてバスで通園しているという。ただ、その反面、公園で偶然話を伺った中学生の話は意外なものであり、「普段の生活は事故前と変わらない」とか、「一部の大人が騒ぎすぎだ」といったものであった。しかし、放射能に関する説明は一切受けたことがないといい、また、福島市内の小・中学生には、積算線量計が配布されているもののその運用実態もずさんに感じられた。


4、提案

「子ども福島」は、活動目標が不明瞭になり、活動自体がやや沈滞しているようにも思われたが、自主的避難やサテライト避難の呼びかけ等を軸に動いている。やはり、問題は、避難したくてもできない人、避難していても経済的にとても苦しい人がいるという事実であろう。人々の考え方の違いは依然存在しており、やはり住民の選択肢を広げることが重要である。3.11同志社学生ネットとしては、第一の方針を具体的な避難者支援活動として、署名活動等での「子ども福島」との協力、また、京都市内に避難している方々への支援、福島大学生との協力関係の強化が考えられる。しかしながら、それとともに、福島の現状を念頭に、原発及び放射能問題を明らかにし、最終的な方針である脱原発を達成するための活動に取り組む必要がある。具体的には、学生の問題意識を向上させ、また3.11同志社学生ネットの組織力を拡充させるための、視察報告会や講演会を早期に実施すべきだろう。今、原発及び放射能問題については、続々と新事実が判明している。私たち自身が事実を学び、早期に動き始めなければならない。


東北朝鮮初中級学校
      
1、訪問の目的

3月11日に起きた震災で被害を受けた、東北朝鮮初中級学校(仙台市)に宮城県知事村井嘉浩氏は、二十三年度の東北朝鮮初中級学校への補助金、162万4000円を交付しない決定をした。一方、北朝鮮による韓国・延坪島の砲撃事件により、凍結になっていた二十二年度の補助金152万1840円は、東日本大震災の被災地ということから、「人道的な見地」という事で交付された。宮城県は震災の中で、22年度の補助金交付を人道的措置として交付することで、23年度の補助金カットを批判の目から隠そうとしている。教育を受ける権利は皆平等であるべきなのに、宮城県が補助金をカットすることは、被災地域の在日朝鮮人の子どもたちへの民族差別である。これらから東北朝鮮初中級学校は、震災で被害を受けた人々の中で、比較的弱い立場であると考え、「3.11同志社学生ネットワーク」として何ができるのかを考えるきっかけとして、訪問させてもらった。


2、聞いた話のまとめ

震災直後
3月11日2時46分の地震直後、低学年は終わりの会の最中で、すぐに机の下に隠れその後、先生の誘導で無事外に避難。高学年は授業中で、3階に居たりした生徒たちもいたが、先生の誘導で無事に外に避難。グラウンドに集まったが、地震の揺れで泣き出す低学年の生徒もおり、それに対し高学年の生徒が安心させようとする場面もあったという。食堂が無事だったため、一旦そこに集まる。
雪が降り、余震などが続く中、親が迎えに来た子どもは返し、親が遠い所にいる生徒たちは、一緒に食堂で食事を摂ることに。夜は八木山市民センターという場所に行き、生徒、教職員で一晩過ごした。そこには他にも避難してきた人たちがいたという。
12日は休校とし、遠方から生徒を迎えに来た親に生徒を返し、こちらから送ることもした。4日目の朝まで電気が復旧せず、主にラジオや訪ねてくる同胞たちから情報を得ていた。あらためて被害の全体像が見えたのが電気が復旧して、て、テレビを見てだった。

校舎の状況
ガラスが割れ、地面が陥没し、特にひどかったのが職員室と廊下の壁が一面倒れたこと。また校舎の増設部分も大きく傾いていた。校舎は全壊扱いとされ、解体作業に入っており、一階建ての校舎に建て替えられる予定。

震災後の支援物資について
2日目までは、食堂に残っていたもので食事をとり、3日目に山形県の同胞の人たちからの物資や、一週間もすると、各地の総連から物資が送られてきた。
そのため八木山小学校や中学校に物資を配ったり、沿岸部の人々にも、車で余った食べ物を配ったりもした。

震災後の行政の対応について
震災直後はこちらから要請した給水車が来たぐらいで、ほとんど無し。また震災後、市の中学校には、市の職員がすぐに調査に来たが、ここには訪問は無かった。その後一人来たが、一回訪問してそれきりだった。文科省から被害調査の書類が来たが、出しても返事がなかった。校舎の復旧費に関しては2分の1が出される予定だが、それもすぐではなく、手続きの途中である。

補助金カットについて
3月25日に県庁に呼び出され知事から、凍結していた22年度は補助金を出すが、23年度は打ち切ると言われた。理由としては砲撃事件が起きたことに対しての宮城県民の感情を考慮してということだった。校長先生の心境としては「砲撃事件を起こした軍人と、この学校で授業を受けている生徒は関係がなく、知事の主張する理由は納得できない。復興に向けての道が閉ざされたような感覚である。納税の義務を果たしていて、補助金を受け取るのは当然の権利のはず。先人達が勝ち取った権利を失ってはいけない。ぜひ維持するための活動を頑張りたい。」
補助金カットの影響としては、学校の活動やあらゆる面で生徒に影響してくる可能性がある。

日本人のボランティアに関して
震災直後に来てくれた人もいたが、対応できる状況じゃなかった。その後校舎解体に向けた、荷物の運び出し作業を手伝ってもらった。

報道について
八木山小学校や、中学校への炊き出しは報道されたが、同胞の焼肉屋なども震災後、炊き出しを行ったにも関わらず一切報道が無かったことについて、疑問を感じる。


学生に伝えたいこと
生徒たちは震災が起きた後も元気で過ごしている。
異なる民族が共生している日本という社会で、少数民族が日本人に同化しなくてはいけないような社会でなく、他の文化を尊重し、うまく共生できる社会にしてほしい。 朝鮮学校のために何か動くだけでなく、何かの形で今後活動してほしい。


3、今後の活動について

まず報道に取り上げられないことが多いので、広く皆に知らせることが大事であると考え東北朝鮮初中級学校の近況をメールでやり取りし、直接聞くことにより生の声を継続して、サイトなどに載せる。生徒の意見を今回聞けていないので、震災の影響についてや、補助金がカットされたことについての意見の交流会を開くこと。


フェアトレード東北

1、訪問の目的
 
社会的弱者の視点に立った支援の在り方を学ぶ。被災地で実際に活動するNPOの方から現地の状況、また今後の見通しなどを聞く。また、今後3.11同志社との連携した活動が可能なのかどうか確認する。


2、訪問の背景

3月11日の地震によって東北地方太平洋沿岸地域では震災によって多大な被害を受けた。被災された人の生活に関しては住宅、食事、就労など日常生活に必要な部分が影響を受け、復旧、復興に向けた取り組みが行われているがあまり進んでいない地域もある。こうした状況の中、被災地でボランティアとして現地で活動する人は数多くいても、その支援の手から外れてしまっている人がいる。その人たちへの支援はどうなっているのか。また、どのような方法が適しているのか。このような疑問に答えていただける方々の候補としてFT東北が見つかり、根気強い交渉の結果訪問が実現するに至る。


3、フェアトレード東北の特徴

宮城県石巻市を拠点に活動するNPO法人。ニートやひきこもり、発達障害の若者たちが農業に従事したりする中で、就労や自立を目指す。震災時の利用者は4人。

〈現在の事業内容〉
・震災直後から7/20まで無給で活動。行政からの予算は基本的につかない。7/20からは市の業務委託を受けて活動する。(支給額はあまり多くない。)主な支援活動は被災した高齢者の訪問。

○1一次訪問(調査)… 職員とボランティア(FT東北の活動がよくわかっている人でなおかつ長期で参加している人、他には石巻専修大学の学生で継続的に関わっている人など)。
 →安否確認、状況把握(健康状態、生活面など)、声掛け

一次訪問でさらに支援が必要と判断した場合
○2二次訪問(調査)…職員と臨床心理士、看護師などの専門家
 →面談したうえで、悩みや問題を相談、問題の解決を目指す。

上記の訪問はFT東北の臨時職員である看護師などの各専門家が協力して最終的な決定をするという。

支援の対象は、無収入の状態にあり、なおかつ各種の「手帳」、「証明」がつかない人。現在は在宅で生活している被災者を主に訪問。

*訪問にあたって注意していること
FT東北は自立支援の活動を行なっている。被災者の方が自立できるようになることを目指している。そのため支援活動も例えば、物資を渡して喜んでもらえたから上手くいったということではなく地域住民主体の地域再建、生活再建が本来目標とすべきところであるということ。
訪問活動も一定の線引きを引かずにそれぞれの人に最適な対応を心掛けているという。
その根本には結局最後は個人の意思によって決まるという考え方がある。いくら復興のための計画を作ってもそこに住む人を考慮せずにいるようでは途中で挫折するであろう。押しつけでは駄目、わがままだと決めつけても最後は個人の意見を尊重し構想を練るべきである。これはボランティアの網の目からこぼれおちる人が出ないようにするということと直結する。

*ボランティアについて
仕事はさまざまにある。ただ、せっかく来てくれるのであればせめて2~3日は滞在してほしい。より長くいることでいろいろな活動を手伝ってもらえるし実感が得られると思われる。1泊でも住んだことになり、日帰りでは見えなかったことも分かるようになる。


4、震災直後から2011年9月中頃までの大まかな状況

被災した人は地震、津波が収まってからは多くの人が避難所での生活を余儀なくされた。避難所では1日3食は支給されるが、学校施設の体育館や公民館などに段ボールやシートなどで空きスペースを作りその中で生活する。集団での生活に加えて、常に周囲に気を使うことがあり、ストレスを抱え、体調不良になる人もいた。またプライバシーや防犯上、問題もいくつかあった。
現在は一人暮らしの高齢者、小さな子どものいるシングルマザーなどがほとんどを占める。なぜこれらの人たちは避難所に残っているのかというと、高齢者は仮設へ移ると、行政からは「自立した」と見なされ、電化製品などの日用品は支給されるが食事や光熱費は自己負担となる。こういった具体的な援助が打ち切られてしまうことを心配して、留まる人がいる。シングルマザーは仮設に移っても実家を行き来している人は離れた僻地の場所では生活に不便であり、支障をきたすのでそれなら望む地域の仮設に当選するまでずっと待ち続けているという。(仮設住宅への移動は避難所ごとに抽選で決まる。)これらの人びとは中年の働き盛りより情報取集力が高くなく、その結果移動したいと思っていてもできない状態。
避難所、仮設、在宅の人も含め、震災以前のコミュニティが破綻して人びとはバラバラの状態となった。人々のまとまりが分断されたと言える。地域のカルチャースクールやサークル活動などにつながりを持てる人はいいが、どこにも入れない、属さない人は結果として孤立してしまう。コミュニティ再生に向けて人のまとまりは利害関係なしでは続かないという考え方のもと、持続的な人間関係の形成を重視して支援を目指している。


5、石巻周辺視察 

瓦礫置き場、女川町漁港、仮設住宅、日和山(市内を展望できる高台のようなもの)と見て行った。石巻は震災以前、漁港、日本製紙、女川町の原発関連の下請けの3つのどれかに大抵の人は関わって生活していた。言い換えればこの3つの分野の事業で財政などが回っていたという。
瓦礫置き場は高校のグランドを利用していた。漁港ではその被害の大きさに驚いた。仮設住宅では職員の知り合いの方に話を伺うことができた。避難所から出られたといっても自宅は全壊して、ようやく仮設に入れたという。快適とは言えない状況でも工夫して住まわれ、これからの生活に前向きにおられる姿は本当に逞しく感じた。震災当時は津波の影響で石巻漁港が被害を受けたのはもちろんであるがFT東北のある地区まで床下浸水が起きたことなどを聞き、改めて被害の大きさを思い知った。

・チラシポスティング作業
石巻の蛇田地区の高齢者の独居住まいの方の状況把握のため、FT東北の活動を知ってもらうために各家庭のポストにチラシを配っていった。



その他… (個人的意見)数日でも休みのとれる人(移動日除く)がいればFTのボランティアに参加することは可能である。支援活動に参加することで得られるものがきっとあると思う。

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2011.11.20 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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